なぜ、存在するのか、と存在を動詞で問えば、思考は答えを求め、知らず過去へ向かいます。
動詞が、時間を演出しているからです。
言葉が存在するから、その言葉で表される対象が存在しました。
いま、動詞という存在が、時間を存在させています。
過去から未来へという流れを従いながらです。
有という存在が、時間に流されることはありません。
無と有という論理の結果、存在は存在しているからです。
時間が存在の存在に関係しないのであれば、存在は動詞を用いずに記述されねば
なりません。
ですが、もちろん、そんなことは不可能です。
ですから、以下、動詞は、動詞もどきとして用いることにします。
存在は、時間の流れを含み存在し、その流れに流されることはないからです。