われわれの言語の体系で存在を記述できないのは、差異の線が、存在する、という平面の

上でのみ引かれているからでした。

ですから、言葉が、存在する、ということを背後に含み、存在する、ということの差異を

言葉が持つことはありません。

差異を持たない言葉は、言葉として機能することはありませんでした。

存在する、ということを記述するためには、存在しない、ということを差異の相手として選らばなければないません。

無という相手をです。

ですが、その無を、われわれの言語の体系では記述することができませんでした。

無は存在するとか、無は存在しないとか、記述が混乱し終わるからです。

無を、差異として、言葉が持つことがなかったそのためにです。
いま、無を差異とする言語の体系を考えます。

無を差異とする言語の体系では、主語となる言葉は、すべて現実に存在している対象でなければなりません

ですから、述語でその存在を問うことはできません。

言葉が、対象を直接指示するからです。

ですから、述語でその存在を問い記述できない対象だけが、現実に存在している対象です。

言葉が存在させている対象とは異なる存在としてです。

無を差異とする言語の体系でいま得ている言葉は、無と有の二つの言葉だけです。

存在するのが、有であり、存在しないのが、無です。

語彙を、増やさなければならないのですが・・・
Get Adobe Flash Player
 ※最新のFlash Playerをダウンロードしてください。 FLASH / HTML
※Windows 95/98/Me/NTをご利用の方はHTML版のページをご覧ください。