A点が私のいる場所であり、B点がパソコンのある場所です。
私の手は、私とパソコンとの間にある空間を通り、パソコンに届きます。
A点からB点へ、空間の軌跡 c としてです。
私の手は、辺 c のどこかに必ず存在し、それが私の知る現実であり空間です。
その現実を、太陽系から記述すれば、異なり記述されます。
地球は動いていますので、始め、A点はC点に一致します。
太陽系から記述すれば、私の手は、C点からB点へ、軌跡 a を通り、パソコンに至ります。
軌跡 c と、軌跡 a、私の手は、本当はどちらの軌跡を経てパソコンに至ったのでしょうか
地球という慣性系と太陽系という慣性系では、私の手の軌跡は異なり記述されます。
空間という一つの出来事において記述される二つの軌跡、私の手がパソコンに触れるという一つの出来事において
記述される二つの出来事、そして、慣性系という出来事の存在する空間、私の手の軌跡は、広がりという空間の
概念では記述することは不可能です。
座標変換という数式における記述は、その実用性とは裏腹に、存在に対し、何を記述することもありません。
数式は、ただ結果だけを記述し、なぜ、その数式が存在において成り立っているのかを記述することがないからです
空間において数式が成り立っているのではなく、数式が空間を成り立たせているのだということをです。