存在が、存在しています。
論理として、自身の出生を記述しながらです。
この存在は、見事に論理的に構成されています。
そこに存在する法則で、矛盾を記述する法則など存在することはありません。
存在は、自身で自身を記述しなければなりません。
論理として、矛盾なく、理論体系を記述しなければなりません。
この存在に、論理が存在しているのではありません。
論理自身が、存在として存在しているのです。
パソコンの時代に例えるなら、論理というハードが存在として存在し、
法則というというプログラムが記述され、宇宙として具現しています。
ロードという変化を記述しながら、自身は変化することもなく、プログラムを
支配しながらです。