言葉とは差異でした。
ですから、単語としては、言葉は、現実を何も記述することがありませんでした。
ですが、文章において、言外に、言葉は一つだけ現実を記述してきました。
文章の記述における、論理的展開をです。
文章は、論理を記述します。
この存在が、論理的にでも存在しているかのように、ですが、そんなことを意識することもなく、
当たり前のように、言葉は文章として、論理を記述していきます。
辻褄の合わない証言は、裁判で証拠となることはありません。
言葉が、論理を記述し、ですから、この存在にも、言葉で記述するような論理が存在
していなくてはありません。
論理が存在し、ですが、論理という存在は、決して当たり前の出来事ではなく、むしろ、
恐怖です。